妻曰く

プロジェクトマネージャーの妻による育児対応を巡る夫の記録

「育児神話」にとらわれない妻の思考パターン

目を合わせないと人の気持ちがわからない子になる?

「ミルクをあげるとき目をちゃんと合わさないと、 人の気持ちがわからない子になりますよ」 。息子が生まれて1週間ほどしか経っていないころ、妻は小児科医からこう言われたそうだ。

f:id:tnkdad:20190418003203p:plain帝王切開直後で家族の手助けも全くなかったため、産後ケアを受けていたときだった。ヘトヘトになって自分のご飯を食べていた。

妻は「そもそも目がまだ開いていないし、視力もついていない赤ちゃんと目を合わせるってどういうこと?」「赤ちゃんは顔の向きくらいは把握できるってこと?」と疑問を抱いたそうだ。

確かに夫からみても、言われてみればどういうことなのかわからない。考え始めるといろいろ疑問はでてくる。ミルクをあげながら目を合わせるのが、どういうプロセス、論理で人の気持ちがわかるようになるのに役立つのだろうか。もっと突き詰めると、人の気持ちを推察したり、人をよく観察できるというならまだしも「気持ちをわかる」なんてことがあるのだろうか。

「育児神話」があふれている

妻は疑問が心に引っかかったまま、ほどなくして出産した病院の小児科医に「ミルクをあげるとき目をちゃんと合わさないと、 人の気持ちがわからない子になる」と言われことを伝えた。そこでは「そうは言っても、この月齢の赤ちゃんは一般的にまだ目があまり見えていないので、 目を合わせること自体が難しいかもしれません」とあっさりと言われたのだという。かかりつけの産婦人科医は「いまだにそういうこという医者がいるのか」という反応だったそうだ。

妻曰く「根拠がよくわからない『育児神話』とでも言える話を頻繁に聞く」。夫である自分からみても確かにそう感じる。よくあるのは「お腹を痛めて産むから愛情が生まれる」「小さいのに保育園に預けるのはよくない」などだ。

余裕をなくしては元も子もない

息子を授かってから、育児にまつわる様々なアドバイスや情報に触れることが格段に多くなった。育児という共通のテーマで、様々な考え方や実践例を知ることができるのはとても刺激になる。自分たちに無い視点を得て、子育ての方法の幅を広げることもある。

一方で育児は「子どもがちゃんと育つようにするには・・・」という「べき論」が主張されがちだとも感じる。そしてその中には一見もっともらしいが客観性がなく、真偽が怪しい「育児神話」とも呼ぶべき情報に接することが少なからずある。息子のためにできることはしたいとの気持ちの一方で、そういう情報に惑わされて「こうしなきゃいけないのだろうか」などと義務感を感じすぎたり、余裕をなくしては元も子もない。

我が家ではジーナ式を取り入れたが、深夜授乳のときは目を合わさないようにとの説明がある。そもそも暗い中で授乳するように書かれている。息子は目を合わすのを試してみると、確かに興奮してしまうのか、はしゃぐ傾向があるようで、目を合わさないようにした。これも人の気持ちがわかるかどうかで考えると良くないとでもいうのだろうか。

目を合わせる意義も考えた

一方で妻は「目をみていたほうがいい場面もある」と話す。息子の目線で息子がなにに興味を持っているか目標物を知るときだ。例えば食器をみていたら、次に食器をひっくり返す可能性がある。これから行動力がついてくると、危険から守るために視線を追う意義は高まるだろう。

視力が伴っていない時期に言われても…との思いは拭えないが、もしかすると最初の小児科医の発言はこういう背景もあるのかもしれない。しかしそれならば、息子が人の気持ちがわからなくなると感覚的に危機感を煽るような言い方ではなく、目線を見る意義を論理的に言ったほうが伝わるのではないか。この一件では妻の根拠や論理性をまずみようとする思考パターンをみて、いろいろ考えさせられた。